トミー・ハースの話をつづけます。
昨夜は夫の会社のディナーパーティに、トミー・ハースの右手にアメリカの旗、左手にパスポートをもった写真をプリントして出かけました。なぜハースのアメリカ帰化に興味があるかと言えば、それは自分の問題でもあるからです。「長年住んでいてなぜアメリカに帰化しない?」とよく聞かれます。
錦織選手のケースを考えてみました。ハースは13才で渡米しています。それ以来ベースはアメリカです。圭君も同じですね。これからも圭君はボレテリを拠点としてテニス活動をしていくはずですから、圭君がハースの年齢に達したときにどのような決断を下すのか?アメリカに留まるのか?日本に帰るのか?海外に長年住む者にとってはこの問題は必ずついてまわる問題なのです。
さて話をハースに戻しますが、ドイツ人全員が「ハースがアメリカ人になることについては、それは彼個人の問題でもあるし、二重国籍がとれるんだったらグッドじゃないの。」ということでした。
しかしドイツは二重国籍を認めませんので、普通はドイツ国籍を失うことになります。ハースの場合はデ杯にドイツの代表となることで許された特殊なケースです。スイスは二重国籍がみとめられるので、スイスのパスポートを失わないでアメリカのパスポートをとれるのに、夫はガンとしてアメリカの国籍をとることを拒否しています。彼の答えは簡単。「僕はアメリカ人じゃないのだから。」
このアイデンティティーのテーマに興味がありましたので、それでは少しアングルを変えて彼らに聞いてみました。「自分がドイツの国籍を失ってもアメリカ国籍をとりたいか?」という質問です。全員がNoでした。理由は家族や親戚がドイツにいるので、いずれはドイツに戻るかもしれないため。これも皆同じ答えでした。とてもプラクティカルな意見です。
私の質問を横で聞いていたアメリカ人の女性は、「私がもし外国に長い間住んでいるのなら、その国の国籍をとるわ。」と言いましたので、「じゃあ、長く日本に住めば日本人になるの?」と聞くと、そのブロンド女性は「もちろんよ。」と答えたのです。フーン。何かちょっと解せないものがありましたので、「アメリカの国籍を失っても?」とさらに突っ込んで聞いてみました。
「Why not? 日本でずーっと生活をしようと思っているのなら日本人になるのが当然じゃないの?」
「でも自分のアイデンティティーに問題はないの?」
「なんで自分が日本人になれないの?」
彼女のように国籍については深く自己のアイデンティティと結びつけない人たちに以前何度か会ったことがあります。自分の先祖にいろんな国の血が混じっているせいでしょうか。この身軽なスタンスは先祖代々日本人という単一民族との違いだろうと思いますが。
「あなたはアメリカに長く住んでいてなぜアメリカ人にならないの?」今度は彼女から私に質問です。
「国籍の問題は私にとってはアイデンティティの問題なので、その国に住んでる期間では決められなんですよ。アメリカ人であるというアイデンティティーを、これからももてそうにないので、自分はアメリカの国籍をとる気はありませんね。」と私は答えました。
彼女の顔は?マークで一杯。「何でアメリカ人になれないのか分からない。」といった顔をしています。しかしここはパーティの席上。アイデンティティーのシリアスな問題を話す場所ではありません。お互いにそのあたりは心得ていますので、ハースの話は終わりとなりました。
さてLe Bernardinは、マンハッタンでベストなレストランといわれるだけあって、料理は実においしかったです。特にサーモンとフアグラのアペタイザーは逸品でした。もし機会があればお試しください。
(追記)このビデオはパーティー用の特別室ですので、一般のダイニングルームとは違います。しかし雰囲気は似ていますが。サーヴィスがいきすぎることなく、絶妙なタイミングで大変よかったです。





私も若い頃は外国暮らしに憧れたりしてましたので、
その頃の私に「外国籍をとりたいか?」とたずねると、
イエース!と回答しただろうと思います。
理由は、深く考えたことがないのと、
国籍というものに実態がなくて、実感しにくいところにあると思います。
わたしの場合、国籍ではなく日本という土地とか日本の存在そのものに
問題を置き換えると急に深刻になります。
日本が「今日からここからアメリカです」となったらと考えると、
とてもそれは受け入れられません。
中国でも韓国でもいっしょです。ありえない。
そう言いつつ東京で暮らし、実家に帰る気もさらさらないので、
私はいずれ自分のアイデンティティーあるプチ国家を失います。
ゆくゆくはあの家、土地が他人のものになるんだなと考えると
ものすごく切ない気持ちです。
あ、話がちょっとズレましたね、お許しを!
わたしも国籍とアインデンティティを結びつけて考えたことはありません。でも、日本で暮らしていても、実家を離れると実家や家族を強く思うようになるくらいなので、例えば好きな外国人テニスプレーヤーと結婚することになって(あくまでたとえ話ですので軽く聞き流してください)、その人の国でずっと暮らすことになったとしたら、日本国籍にこだわってしまいそうな気がします。その国の文化や価値観を受け入れることができたとしても、逆にそのことで日本人としての揺るぎない何かを感じていたい、持っていたいと思いそうな、そんな気がしています。
ま、そんなたとえ話のようなことになる可能性はないと思いますけど(笑)。
ビデオをアップしてくださった「Le Bernardin」は素敵なお店ですね。若干店内は暗めなのかな?それにしても料理はどれもおいしそう~!なんだかおなかが空いてきちゃいました。
私の従兄弟もアメリカの方と結婚していますが、日本国籍です。ご飯、おつけもの、和菓子をこよなく愛している彼女も、きっと同じ思いなのかな、と思いました。
そして、おいしそうなお料理にごくっ!10年ほど前ですが、親戚がテレビ局の転勤でNYに滞在していたときに、遊びに行ったことがあります。ふらりと入った普通のレストランで、メニューの一品一品が高くてびっくり(確かスープ一皿、パンやライスはついてなくて1000円位)、更に、頼んで出てきたスープの大きさにびっくり!!結局スープだけでお腹一杯・・・懐かしい思い出です。あ、余談ですね、ごめんなさい。
白ごはんさん、mitoさん、mamemamekoaraさん
夫と私はずーっと海外生活ですので、いつもこのアイデンティティーの問題を抱えて生活しています。息子はスイス、アメリカ、日本のどちらにアイデンティティーを持っているのか?とよく聞きますが、どこにも持っていないというニュージェネレーションです。よい意味でかたくななアイデンティティーから解放されたこのような新しいジェネレーションが増えることを願っています。そうなれば戦争もすくなくなるはず。
アメリカはすぐに軍隊で解決する傾向にある戦闘的な国ですので、この想いは深まるばかりです。
ところでこのディナーパーティは特別室で(照明が暗かった!)、専用バーが設けてありますので飲み放題。ヨーロッパ人は食後、コニャックなどを飲みますので、えんえんと深夜までつづきました。鍛えられます。
私は日本の大学を卒業してすぐにカナダに来て、今はカナダ人の夫とカナダに住んでいます。 独身のときにカナダの国籍をとりました。理由のひとつは 選挙がしたかったからです。働いて たくさんの税金を払っているのに、選挙ができなかったのは 納得できませんでした。そして、 カナダ人になったからと言って、私が日本人だという事実は変わらないからです。これからも カナダに住むのだから、わたしにとっては カナダの国籍をとるのは 自然なことでした。それが 自分が選んだ国に対する ”礼儀” というか、 ”コミットメント” というか、 うまくいえませんが、 そのときは 若かったから ”覚悟” みたいなものも あったかもしれません。
tonanekoさん
海外在住の方から”も”ご意見を伺えてうれしいです。
昔はいろいろ不便もあり、アメリカに帰化して一世となるのが当然だったようですが、今はいろんな選択ができるようになりました。ですから日本の国籍のままで通される方が増えてきているように思います。
それは土地や財産が日本にあって、帰化するためには整理をしなくてはならないという理由が大きいと思いますが。
>カナダ人になったからと言って、私が日本人だという事実は変わらないからです。<
なかなかすばらしいです。日本との二重国籍が許されるのなら、私もアメリカの国籍をとりますが、アメリカのパスポートだけになってしまうのは、やっぱり今の私にはできないみたいです。コミットメントが足らないと言われてしまえばそうなのかもしれませんが、日本のパスポートを失ってしまうことへの恐怖感があるからだと思います。
いずれにしても精神論と現実論のバランスのとれた選択ができればよいですね。
国籍か、悩んだことないな・・・
昨日まで夫の親の仏事で四国に行っていたのですけど、四国の上空に来たとき、下には険しい山がずっと続いていてその山々の間に数件ずつ家屋が散らばって見えました。よーくこんなとこに、どうやってくらしているのだろうと、そんな山間集落をみていたら、作家の大江健三郎が、自分は、四国の山あいの故郷の家を後にして出てきたが・・・、というようなことを言っていたのを思い出しました。
また、最近亡くなったD.J.サリンジャーですが、「ライ麦畑でつかまえて」(大学時代に初めて読み、2年ほど前又読み返したけど新鮮でした)以降は二、三冊書いた後隠遁生活に入ったと聞いていましたが、実は、何十年も住んでいた町では、普通の市民として、自治体の役員なども積極的に務めてみんなと関わり普通に暮らしていたので、町の人は誰も彼のプライヴァシーを外に漏らさなかったと聞き、ちょっといい話だなとおもいました。
なんか脈絡ないけど、つまり私にとっては、自分を生きることが、一番なんですね。
こういうことは、私のようにほとんど純粋(?)な日本人に囲まれて生活している人間にとっては、深く考える事のない問題ですね。
だからこそ、tennisnakamaさんやtonanekoさんのような環境にいらっしゃる方のお話はとっても興味が湧きます。
海外のテニス選手やミュージシャンのインタヴュー等を理解するのには外せない問題だと感じますし。
かなりレベルの違う話ですが、東京に住んでいても「やっぱり自分は〇〇県人だわ」なんて思いますね。
chachaさん
「自分を生きる」とてもいい言葉ですね。どんな環境におかれても自分らしく生きることができれば最高ですね。
stefan-fanさん
>東京に住んでいても「やっぱり自分は〇〇県人だわ」なんて思いますね。< この気持ちよく分かります。
私は兵庫県の片田舎の出身で、東京で大学生活をおくりましたが、かなりのカルチャーショックでした。でもそんな田舎娘が東京を狭く感じ、日本も狭くなってしまった。狭いと感じたら息苦しくなって窒息してしまいそうになる。ロンドンもイギリス的な狭さがありました。今から考えると私の我慢度が低かったことが逆にバネになっていたように思います。